第1回磐梯猪苗代100kmの2005年7月

三田茂延のランニングダイアリー


★第1回磐梯高原猪苗代ウルトラマラソン(7/9)
★24時間リレーマラソン&キャンプin野辺山(7/30-31)

第11回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンの5月
長野マラソンのあった4月
NMC長野マラソンクラブのホームページ
長野マラソンクラブ掲示板


 
1990〜2004年の年間の月別走行距離(km)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年間距離
1990 51 61 20 54 59 100 50 120 151 131 84 56 937 15
1991 31 79 111 123 110 141 156 140 145 173 144 160 1513 14
1992 126 104 89 178 176 135 120 146 186 176 156 151 1743 13
1993 122 126 108 185 218 135 215 220 189 217 250 212 2197 11
1994 233 211 117 210 232 221 281 283 337 265 216 208 2814 4
1995 213 205 302 228 242 302 119 252 315 446 207 203 3034 1
1996 206 178 242 229 200 169 203 170 171 215 22 147 2152 12
1997 202 166 109 190 250 151 234 311 183 60 107 204 2167 10
1998 225 198 312 221 216 106 192 121 200 303 264 202 2560 7
1999 233 277 272 205 259 202 198 160 241 290 205 201 2743 5
2000 230 254 271 177 109 203 237 140 265 340 129 183 2538 8
2001 206 110 306 153 140 143 258 149 261 473 301 224 2724 6
2002 225 277 269 216 271 288 187 104 301 302 179 208 2827 3
2003 255 189 217 216 303 300 216 240 210 354 184 150 2834 2
2004 220 247 241 217 154 224 235 100 152 264 142 223 2419 9
2005 301 239 243 232 283 314
 
月初の書き込み
 今月は初開催の磐梯猪苗代100kmウルトラマラソンがある。往復とも新潟周りの高速道路でクルマで。3時間半くらいのようだから、途中休憩しながら4時間で現地入りの予定。
 福島県での大会参加は初めてだ。東北はフルとウルトラのいずれかで青森、秋田、山形と埋まってきてこれで4県目。あと岩手と宮城の2県が残るがいずれもフルマラソンの大会があるので、数年の内に東北の国盗りは終わるだろう。
 猪苗代湖には一度職場の夏季研修で行っている。今回野口英雄の新千円札記念と銘打たれている大会だが、その野口英雄記念館にも入っている。猪苗代リゾートスキー場からまず下り、コースの前半が猪苗代湖のほぼ1周となる。ここは湖畔(標高514m)沿いを走れそうで景色が楽しみ。湖を離れ上りだし、五色沼のあたり(標高800m)に向かう。さらに磐梯山ゴールドラインの上り(標高1300m)と下りがあり、湖畔の野口英雄記念館がゴールとなっている。制限時間は15時間と14時間の2部制で14時間の部を選んだ。八ヶ岳より低いコースの高低差から見て12時間台ゴールは確実で、暑くても雨があがった時の飛騨ウルトラ並を予測している。暑さには水分補給と水かぶりで耐えられる方で、その対策は充分にして臨む。もちろん肌は出さない。
 過去にクルマで一部通った箇所をランで走ることになる。また五色沼は遊歩道部分をコースに取り入れて頂けていれば楽しみが増えるのだが、これは確かめてない。-2日記-

初フルから現在までのフルとウルトラ全記録


2005年7月の日付順

距離 トレーニング内容&大会 体重 メモ(感想、体調、etc)、月間距離累計ピンク
1 - MTB通勤
休養
- 8・15マラニックの計画
戦没画学生の絵画を集めた無言館の運営が厳しいようだ。信濃デッサン館の姉妹館として設けられたが窪島さんは信濃デッサン館のコレクションを処分して無言館を残す選択をされたことが確か春頃の「読売」の長野版で報道されていた。初めて無言館に行ったとき、恋人の肖像画を書いて戦地に行き帰らぬ人となった、その恋人の絵の前で動けなかった。それから2度無言館を訪れたが一番感じてしまうところは変わりない。2003年の6月、中学の同窓会で別所温泉に宿をとり訪れたときには団体のバスも来ていて沢山人も来てくれるのだ、と安心したものだったが、先の新聞報道では入館者も減少ぎみとあった。なにも出来ないので、せめて年1回は訪ねよう。ならばあの8月15日に固定して年1回、長野県にある太平洋戦争の象徴「松代大本営」と、これとはまったく対照的な「無言館」を結ぶマラニックが出来ないかと考えている。前者を訪れて感じるのは狂気だ。ここまでして残そうとしたものが何だったかということとその狂気。後者は今の日本にはない戦争に引き裂かれた時間・青春だ。ネックは象山地下壕が9時オープンで、無言館が17時閉館という時間の制約。一部しなの鉄道利用で42km〜50kmくらいのコース取りをすればウルトラ世界のマラニックとして成立かなという気がして、早速、今年の8月15日にテストをしてみようと思っている。8月15日は当時同様、暑い日でなければならない。
2 - 休養 - 決断力が鈍る
ホタル夜回りは21時15分頃から行った。終わり頃、街灯の蛍光灯への覆いを外すのを少しだけ手伝った。これをするとしないとでは大きな違いがある。小町大橋付近に一番人が集まるが、吉田小の裏がいいと思う。
本当は今日か明日に標高2000mの大湿原・苗場山に登る予定を3月頃から立てていた。どうするか思案中だったが、残雪を考慮して昨日の段階で取りやめにした。栄村のホームページに苗場情報が載っていて、登山道の最後の上り部分の雪もなくなったかと思え、最初に苗場を訪れた年と同様、雪の多く残る山頂湿原、その雪解け部分に咲く花が楽しみだった。さっと支度して行ってしまわないと駄目で、今年は決断力が鈍っている。
ホームページと長く向き合っていた1日だった。自分のページは復旧させたが、まだNMCトップページを元のスタイルに戻せないでいる。
明日はNMCの親睦駅伝に出て、人数の足りないところだけ走る予定。今月まだゼロ。
3 8 親睦駅伝の5区の8km39分 - 親睦駅伝で8km
天気がほどよく、長野日本無線陸上部さんとの親睦駅伝が実施された。21回と続いているので、これは凄いことだ。去年は7月の当日、朝から雷で中止し、9月に雨の中をやった(写真)。このため懇親会は中止していたが、今回はそのうち上げの懇親会もできた。今年の様子は当番幹事の長野日本無線陸上部のホームページhttp://w2.avis.ne.jp/~yukorin/ に出ている。今日は山梨でもう一つ富士登山関係の練習会があったはずだが、天気は午後もっただろうか? 長野は徒歩で長野駅まで戻った18時過ぎ頃から、ポツポツと雨が当たり出した。
私の8kmはキロ4分45秒のぺース。今日は走り出す前、右足首が捻挫状態に外に傾く嫌な感じがあったが、走りには支障なかった。
4 - クルマで通勤
サボリ
- 国土地理院の25000分の1地図で下調べ
夜は雨も上がり走りやすい状態になっていたが、ホタルの夜回りで歩いただけだった。
今週末は磐梯猪苗代の100kmがあるので、よく寝ておかなければならない。仕事の方も片づけなければならないし、土曜日大会は金曜移動となり、ちょっとせわしい。ネットの国土地理院の地図でコースを一通り見た。平らと思っていた猪苗代湖の湖畔部分でも200mほどの上りがあった。明日、湖はその上りがある部分、あとは湖を離れてからの後半部分の刷り出しをしてみよう。明日は通勤帰路10kmほど走る予定。短縮のホタルロードで帰ろう。
5 - 朝JR通勤
通勤帰路Walkの5km
- 見つけた「ひえぶるアイシング」
長野マラソンのゴール後、木下(幸)さんが使っていたアイシング用のポリウレタン製の氷嚢「ひえぶるアイシング」をマツモトキヨシで見つけてさっそく購入した。不二ラテックス製だった。これの方が直に冷めたさが伝わる。標準小売価格1200円のが980円だった。先月購入のピップ製の厚い素材の物よりアイシング時間が短縮出来るだろう。効果としてはどちらがいいのだろうか? さあ、ビールが醒めたら走りに出て帰宅次第、「ひえぶるアイシング」を試してみよう。
今朝履いて出たブルックスの主にWalkingに使用のシューズが小さくなった感じで、右の外反拇指部分を圧迫していたので、通勤電車の中で中敷きを外した。これで少し幅広になり良くなった。そんなこともあり、マツモトキヨシでは拇指と第2指の間に入れるシリコンも買っている。
6 12 通勤MTB

22:15〜砂田橋→浅川堤防→西友檀田店→東条橋→活断層路でJA上松裏→城山公園→善光寺→湯福神社→JA上松裏から活断層路で湯谷公民館前→西友檀田店裏→浅川堤防で砂田橋のjog & run
- アオバズクの声を聞く
3日に右足首のことを書いていたが、今日は幅10cm、長さ80cmほどの少し伸縮のある帯状サポーター、巻いた最後をマジックテープでとめるようになっているやつをを朝から着けていた。これの効果であの捻挫する時のような外側へ傾くような力を押し戻し出来たようだ。夜、このサポーターを外して12km走った。これで磐梯猪苗代100kmの本番当日まで走らない。右足首も日中はこの圧を調整できる簡易サポーターで軽く固定しておこう。
走っている浅川堤防(砂田橋-檀田大橋間)はホタルの少ない部分だが、それでも数匹見つけている。そこからは少し離れるホタルスポット東条橋の脇でも10匹ほど見ることができた。善光寺に着いた頃、湯福神社方面から「ホーッホーッ、ホーッホーッ」と響くアオバズクの鳴き声が聞こえてきた。以前も太い木のある湯福神社前でこれを聴いており、アオバズクがいることにまちがいない。ヨタカの声はまだ聞けていない。
夕方虹を見た
担当している仕事の方も今日は集中でき、明日も朝から頑張れば何とか夜少し遅くまでかかるかもしれないが木曜中には終わりそうだ。かたづけないと金曜日に磐梯に出かけられない。
そういえば、昼間虹を見ることができた。弱い雨が降って、日が差して、「これは出るぞ」と同僚等と話すまもなく虹を見ることができた。9階の職場は虹を見るにはいい場所にある。
累計20km
7 - 通勤MTB

休養
- 23時前に仕事が片づく
仕事が片づいたのは22:45だった。これで磐梯猪苗代100kmウルトラマラソンに出かけられる。ウルトラ前なのできっちりと時間通りに食べておかなくてはいけないのと、お腹がすいてきたこともあったので19:45にメルパルクへ夕食のパスタを食べに出かけた。窓際のテーブルにピッチャーと、なんと見かけた顔があった。石川さんだった。仕事ということで学生と来ていた。こちらも仕事の合間の食事。そういえば朝は通勤ランの高木さんと一緒になり、工学部生協食堂で夕方5時から8時まで「生中」300円セール中だと聞いた。これは来週出かけてみよう。
着々準備でもないか?
昼にはいつも通り2日前するニラレバでのレバーローディングをした。
今、9日の天気をチェック。曇りで19℃から23℃だ。降水確率は40%、多少の雨は恵みの雨、日が差さないことだけを願う。いつも通り朝起きてからの支度となる。2週間前に支度をしておくドクター、確か小出監督の話から来ているとか。こちらはあきれられるほど出がけ1時間前の支度で、いつまでも変えられないずくなしの生活パターンだ。
8 - 移動日(家→猪苗代リゾートホテル) 第1回磐梯猪苗代ウルトラマラソンの100kmの部にでかけた3日間はまとめて記載予定当面、掲示板に連載(7/13から5回)その連載内容は下記の【長野マラソンクラブ掲示場から】に収録した。

【行程と交通費】
10:30に長野市稲田の家を出た。信濃町IC11:06入り、途中米山SAで昼食をしてナビに従い磐梯河東ICでおり、磐梯町役場前通過14:27、セブンイレブンで買い物をして猪苗代リゾートホテルには14:40頃に着いた。帰路はどこにも寄らなかったので正確な距離が出ている。最短でホテル−家間は300kmその約9割が高速道路だった。上信越道の信濃町IC−磐越道の磐梯河東IC間は262.8km、5,800円、 標準所用時間3時間17分。
右の写真はホテルの庭から標高差150m程の猪苗代湖を背景に8日夕方撮影。

【長野マラソンクラブ掲示板から】
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第1回磐梯猪苗代ウルトラ  投稿者: 三田  投稿日: 7月13日(水)02時57分5秒
その100kmに行ってきた。当時サロマをクリックしてエントリーしてしまった石川さんに「野辺山とどちらがきついか走ってきて」と頼まれていた大会だ。自分としても第1回の大会はとても魅力で、ましてや猪苗代湖の一周と五色沼の方を通り百名山の磐梯山をぐるっと巡るとあっては、まだ登ってない磐梯山の登山も翌日にセットしていけると山地図も買い、大会要項を取り寄せ即刻エントリーした。これが早かったようで、遅出の午後4時スタートの先頭ゼッケン201番を頂いた。
★まず石川さんに回答。第1回野辺山のタイムより1分遅い12時間15分45秒(自己計測)のゴールだった。このため野辺山よりきついのか?と思われるかもしれないが、決してそういうことではない。フィナルということで初めて出た飛騨ウルも12時間19分で走っており、きついと言われるコースの大会の自分のメヤスタイムとして、どうも12時間15分くらいを標準にして走るらしいからだ。「野辺山の方が強度は上です。」
写真は真っ暗な3時スタート、なぜか4時スタート組のはずの200番台ゼッケンの方もいる、エントリーは3時84人、4時40人だった。75kmと55kmも含めると総勢218人、これを実行委員13人と80人のボランティアが支えた。−少し続けます−
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磐梯猪苗代ウルトラ-その2  投稿者: 三田  投稿日: 7月13日(水)21時00分49秒
当初この大会は猪苗代湖畔(標高515m)を先に周り、磐梯山の山麓周回が後半になっていた。受付をして大会パンフレットを開いてびっくり。なんと山周り、磐梯山山麓周回の方が先になっていたのだ。磐梯ゴールドラインの1300mから湖畔515mまでの下りがラストなら、不安の左膝(野辺山の小海への下りで痛め、その後の五輪マラニックの2番目の大望峠からの下りで再発)に痛みが出てもゴールまでの距離は短いのでまず足はもつ・・・と、国土地理院の地図で全コースをたどり、「いける」と見ていたのでショックだった。
★地図の順番を入れ替え、一応これを持って走っていたが、道路の分岐交差点でのボランティア・スタッフのガイド、道路の白線矢印、コースガイド看板(
写真)が十分におこなわれていて迷うところはなかった。
★事前の要項、大会パンフの両方ともコースはいわば概略で、主催者の遠藤さんからは迷わない主要な一般道を走ると聞いて国土地理院の地図でそれを「なぞった」と思っていた猪苗代湖部分で、1ヵ所大きな違いがあった。猪苗代湖の周りで丘越えがひとつと165mくらいの高低差の山越えはその通りだったが、もうひとつ、上り部分があったのだ。東北自然遊歩道(新奥細道)への寄り道。これが誤算の一つだった。交通量の多い国道部分を避けるとの意味あいもあっただろう。この道で阿賀川(日橋川)の16橋水門を見たりもできた。五輪マラニックも長野−軽井沢コースで自然遊歩道を使うところがあるから、ここは対クルマ社会の中での安全重視と名所を走らせたい主催者の選択といえるのかもしれない。参加者の大方は猪苗代湖部分が平らと見ていたようで、磐梯周回部分以外の湖畔での3つの上り、特に湖畔の山越えはコースの「きつさ」を感じたところとなったようだ。写真は分岐などでのコースガイド看板7.9は距離でなく7月9日。-さらに続く-
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磐梯猪苗代ウルトラ-その3  投稿者: 三田  投稿日: 7月16日(土)03時55分36秒
まだ真っ暗な中、3時スタート組を見送った。4時の部は少し明けてきていたがまだ薄暗い猪苗代湖を見下ろしながらのスタートとなった。2kmも行かないうちに明るくなったが、みなさんの飛び出しが早く、最後尾からの一つ前あたりの遅いグループになった。昭和の森と名のつく林の中を抜ける時には起き出したばかりの野鳥の声を気持ちよく浴びた。猪苗代スキー場を抜けの五色沼に向かう国道459号線へ出ると10kmのエイド。そこまでの最初の10kmは下り部分が多く55分台と少し速いぺースだった。それでも国道からは緩いのぼりとなるので自然と調整されキロ6分少々のちょうどいいペースにおさまってくる。途中、川上温泉から磐梯山への登山口を見つけ、その看板を撮影した。このころ埼玉からきた若いウルトラランナーと話をしながら走っていた。九州に勤務中、初のウルトラを阿蘇で走ったといい、野辺山も完走している。前夜祭等で野辺山を完走していればここはそれより楽に走れると話が出ていたようだ。18℃くらいのちょうどいい気温だと思ったが、お一人だけ「寒い」と言いながら走って行かれた方がいた。
★五色沼へ入る駐車場のあたりで20km。五色荘前のエイドには
写真のようにフルーツがいっぱいで、若い3人の女性がボランティアをしていた。(写真はその画像クリックで拡大するのでメロンなどがあるのがよくわかる。)残念ながら五色沼への遊歩道、池めぐりはなしで、国道を行くコースがとられていた。宿泊施設やお店のあるところだが6時05分頃、シーズンオフでもあり、人も出ていない。ちょうど猪苗代湖から見上げる磐梯山の表の山ろくから走り出し、回り込んできて右手裏側の五色沼のあるあたりまでくると、このあたり一帯を裏磐梯(高原)という。その裏磐梯の大きな湖・桧原湖畔を少し走るのだが、国道のその部分は五色荘前あたりから歩道が広く取られていた。車も通らない気持ちのいい時間帯、もちろん歩道を走っていく。コースを少し出て、桧原湖の遊覧船やボート乗り場に寄り道。湖畔にはちょうど朝の散策の人たちがいたので、昔来たことのある桧原湖をバックにシャッターを押してもらった。
★桧原湖を過ぎるといよいよ有料道路の磐梯ゴールドラインという磐梯山をまいて標高1300mまであがる道に入っていく。 −続く−
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磐梯猪苗代ウルトラ…その4  投稿者: 三田  投稿日: 7月20日(水)07時57分53秒
★24kあたりから徐々に上りだすこともあり、6:30頃だというのに暑くなってきた。五色荘前トイレで水分を含ませた「水だけでCooL」というKappaの日除けが垂れ下がる帽子が効果を発揮しだす。以後、コース上に「給水」の看板があり、民家や事業所の外の水道が借りられる場所(主催者が水道使用の協力を依頼したのだろう)毎に流し水で冷やし、水を含ませて使用した。また携帯したボトル2本(200mlと120ml)にも水を絶えず補給した。
★磐梯ゴールドラインの料金所を過ぎ、いよいよ上りがきつくなるかと思われたところもまだ序盤なので結構走れた。スタートからずっと磐梯山を巻いてきていたが、前日に見えていた山はずっと雲の中だった。磐梯山を入れて撮れる写真スポットでタイマーをかけ撮影(
写真)。背景は少しガスって山部分はもちろん雲の白のみ。ゴールドラインのピークの少し前が磐梯山の八方台登山口の駐車場だった。私と同じ中高年登山者が数組、「登山口」看板前で登りだす前の記念撮影をしていた。そこの駐車場トイレの水は飲用でないため、ここは給水だけのエイドが出ていた。水をいただく。この25km〜30kmは49分かかった。もちろん歩きが入っている。29.5km過ぎあたりから下り始めているが、問題のその下り、慎重に少し加減しながらいき、なんともないようなので激走とまではいかないが速い下りに切替えた。35km、アルッ磐梯スキーを見下ろすあたりからやっと雲が切れて磐梯山が姿を現した。
★平坦部に移り42.5kmあたりのペンションのエイドには寅さんラーメンの屋台バスもつけていて、普段はラーメン屋なのだが、この日ばかりは、そうめんをふるまっていた。エイドのフルーツとそーめん1杯をいただく。45kmの看板を見逃し、湖畔道路に入り50kmでタイム計測、5時間37分だった。11時間台ゴールがいけるかなと思えた一瞬。50km過ぎの長浜の着替えが置けたエイドには雨を想定しなかったので何も置いてなかった。5分ほど滞在した。ここで、おにぎりが出ていたが以後のエイドでも一切手にせず、もっぱら炭水化物はパンだった。フルーツと梅は各エイドに置かれ、これは必ず食べていた。
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磐梯猪苗代ウルトラ…その5  投稿者: 三田  投稿日: 7月21日(木)05時48分48秒
★長浜のエイドからずっと湖畔を行くと思っていたが、前に書いた誤算のひとつの湖畔から離れるのぼりの道にコース誘導された。ルネッサンス風建物・天鏡閣へ行く道の登りは僅かで丘の上を走っている感じだった。いったん下り、阿賀川の16橋水門を通過し東北自然遊歩道(新奥の細道)の道標を見て、それに沿って走っていたことがわかった。また少し上り、だだっ広い会津リクレーション公園沿いを進み、この丘という感じのところを下り56kmあたりで会津若松市の浜、再び猪苗代湖だった。中田浜を通り60kmあたりまで浜辺沿いの道で気持ちが良かった。そこから湖畔沿いの丘越えがひとつ。これは問題なかった。
★崎川浜を過ぎて66kmあたりから問題の山越えがやってきた。山越え部分の70kmから75kmはキロ7分15秒平均で進んでいる。いったんおりまた小高いところをくだり80kmに。この間の5kmは42分(キロ8分)もかかっていた。少し歩いたかな?
★ペースが落ちたのはその後の湖畔沿いの平坦部でだった。まず80〜85kmが39分もかかった。給水看板の出ていた事業所のところを1ヵ所飛ばして入った次の85〜90kmは、郡山市指定特別天然記念物「浜路のエゾエノキ群」のエノキ8本、ケヤキ2本の大木のところで写真を撮っていたあたりまでは良かった。時間も14時台で暑くなっていたこともあっただろう、88kmあたりで手持ちの水が空になり、一挙にペースダウンした。この5kmを40分もかかってしまった。もう喉が渇いて走れないというどうしようもない状態だった。90kmをちょうど過ぎた志田浜のアイスクリームショップが建ち並ぶ所で、たまらず、最初の店でソフトクリームを買ってしまった。これは美味しかった。ところがその志田浜のエイドではソフトクリームの引換券が用意されていて、パスすればいいものを欲張ってもう1つ食べてしまった。慣れないものの食べ過ぎで少し気持ちが悪くなる。このエイドでトイレにも行き10分程滞在した。椅子に座ることはなかったが滞在が長すぎて足が動かなくなっていて、キロ7分に戻すのに苦労した。90kmを10時間48分で来ており、普段だと90キロのタイムから目標を11時間59分台に立て直し、エイドもそこそこに頑張るところだが、88kmからの脱水症状とソフトクリームで珍しく気持ちが切れていた。12時間15分くらいでいいと決め、あとはそのように走った。
★ラストの3kmは湖畔のサイクリング道路となり、これは快適で、そのまま野口英雄記念館付近のゴールに気持ちよく走りこめた。
写真は湖畔沿い丘から猪苗代湖の浜辺を臨んだ。62kあたりで11:11撮影。
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掲示板に書かなかったこと
大会には、前夜祭と慰労会が設定されていてこれが無料で行われていたので、大変お得な大会であるとは間違いない。後日、11:07:41でゴールしているフル百楽走会の田中さん(新潟県)に聞いたところ、「前夜祭、慰労会の参加人数は関係者を含めそれぞれ200人程度だったと思います。食べ物は、前夜祭が焼きそば、春雨サラダ、焼肉、炊き込みご飯とトン汁など、慰労会では、マトンの野菜炒め、魚のフライ餡かけ、野菜サラダ、アサリ入りチャーハンなど、飲み物は、瓶ビール(発泡酒なし)、焼酎水割り、ウィスキー水割り、ウーロン茶とふんだんでした。宴の中、地元和太鼓保存会による腹と心に響く芸能を堪能しました。」ということ。
しかし、これに出なかった。慰労会だけは出る返事をしていたのに主催者に申し訳なかった。
何をしていたかというと、両日共、なぜかストイックに自分で買ってきたセブンイレブン限定の陶器ジョッキのつくビール3本セットのエビスとプレミアムモルツのそれぞれをリゾートホテルのシングルユースの部屋で一人で飲んでいて、そしてホテルのレストランできっちり食事をして追加ビールを飲んで、これまでのこと、今後のことなど考えていたのだ。前日はともかく、当初、慰労会と重なる時間帯の食事は予約を入れてなかったのだが、なぜかそんな風になってしまった。交流の機会だったのにと、少し反省している。
その前日からの12時間ルールも破る飲酒のため、真夜中トイレに起きた24時でも鼓動が激しく、それから4時間なので酒臭いスタートかと思われた。このため、最初の10kmは下り部分が入っていたのに心拍が少し上がり気味だった。またその後も、あの忌まわしい野辺山リタイアの時のように、頭にズキズキが出てくる時間帯もあり、「高速道路11,600円(往復)もかけて福島県まできて、リタイアはないよ」とペースを落としてしのいだ部分もあった。
順位など出さない大会として運営されていて、記録証もゴール後、持って行けば書いてくれてたようだったが、持参し忘れたので、主催者が記録したタイムはわからない。自己計測で12時間15分45秒20、誤差は秒単位以下だろうから四捨五入で切り上げ、12時間15分46秒を私のタイムとした。

最後の写真は10日、ホテルから帰る時間が一緒になった主催者の遠藤さんと私、遠藤さんのサイドカー付バイクの前で。
写真は全てクリックで拡大。
累計120km
9 100 4:00〜第1回磐梯猪苗代高原ウルトラマラソン100km(12:15:46)
10 - 移動日(猪苗代リゾートホテル→家)
11 - 往路MTB通勤
帰路JR
時間なし
- 回復力
第2月曜は私の担当の会議日でいつも通り午前中から忙しかった。佐久会場が担当だったので午前様になる前には家に帰れた。しかし走る時間はなかった。磐梯のまとめも出来ていない。
筋肉痛は大腿部の外側に少しこりがある程度。階段降りもなんともない。八ヶ岳の時もそうだったが、中1日での見事な回復力だ。八ヶ岳の後も書いたがアミノバイタル効果は凄いといっていい。あるいは小島さんに指摘されたように「手抜きの走りが身についている」、そんな余力を残しての走りだったからか。
12 7 往路JR通勤
帰路MTB
23:15〜砂田橋→浅川堤防→西友檀田店→湯谷公民館前→活断層路でJA上松交差点裏(折り返しで来た道戻る)jog
- レキのポール
24時におさめての7kmのジョグ。足は大腿部で多少の張りが残っていた。こんな時は土の道がいいのだが、、、。それもあって2002年版サロマのクッション替えの出来るシューズのやわらかめ、つまり100kmでは後半用のもので走った。
乗鞍Run & Walkで上田さんが実地講習をしたレキのポールはレキ・ノルディック・フィットネス・ウォーキングのホームぺージ http://www.nfw.jp/pole/index.html で見つけた。あのときの腰が上がる走り、骨盤がつり上げられるような姿勢の良くなる歩き、走りを時々意識してそれを一部取り入れて磐梯ウルトラは走ってみた。ただ今日もそうだったが、意識してないと崩れてしまう。てっとり早くはあのポールを買って日常のウォーキングに取り入れ習慣化すればいいのだ。今週木曜日、朝から東京出張で17時には仕事が終わるから、取り扱い店となってるアートスポーツに行ってみよう。
やっと夜、起きていられるような、生活に戻った。不健康は治らない。本当はウルトラ前後のように、睡眠優先の早く寝る生活に変えたいのだが、長らくやってきた生活習慣からは抜け出せない。既に13日の2時半だ。アミノバイタルプロ14本入りをとりあえず2割引セール中のマツモトキヨシ長野駅店(三輪店はこのセールなし)で買っておいたので、1本飲んで寝る。累計127km
13 - MTB通勤
サボリ
- どうする夏の北アルプス
いつもなら「8月の頭の登山日程はこの日で」と連絡がくる私が水等の荷物運びのサポートをしているHさんから1ヵ月を割り込んだのに何も連絡がない。そこで、「8月2日(火)から7日(日)まで休みを取りますから、その間でいかがでしょうか」と先日メールを入れておいた。このメールにも反応がなかったので今日電話を入れると、2月に倒れられ入院されているとのことだった。Hさんの北アルプス縦走の最後の計画へのサポートがどうも今年は出来そうもない。本当にショックで、1日も早い快復を祈るばかりだ。いつもなら「雨飾に登ってきたよ」とか、「飯綱に3度登っている」とかの夏の山行きのための鍛錬をされていた弾んだ話が聞けた時期なのに、、、。予定していた折立〜太郎平〜薬師岳〜五色ヶ原〜立山へのルートを快復を祈りながら一人で行ってこようか、迷っている。一人だと凄いスピード登山になってしまい色々見落としそうだ。私の都合で昨年の実施を1年延ばさせていただいた計画だけに、その1年が私の1年と大きな違いだったということで一層、今を大事にしなければいけないと、つくづく感じた。
14 - 時間とれず、なし - 1日東京で仕事の後は
朝8:30の新幹線で東京へ。仕事は10時半から17時15分まで続き、少しその延長も入り、アートスポーツに行けたのは19時近くだった。またユウユウさんからアミノバイタルプロが安く売られているお店も紹介いただき、それも購入できた。この値段だとふんだんに飲める。アミノバイタルでは私と共にユウユウさんにお世話になっている石川さんにも連絡を入れたが、なんと、ちょうど出張で同じ東京に来ていた。私も泊まりなら禁煙飲食店で合流だったかもしれない。
アートスポーツの方での購入物はワコールCWX関係3点、LAKIのノルディク・ウォーキングのポール。夏の北海道マラソンでは上下ともワコールで走る。下をロングにすれば、4千人でたった一人だ。一度やってみたくて、そのための新たに出たブラックのプロモデル1点が入っている。
15 - 往路MTB通勤
帰路クルマ

サボリ
- 寝不足で
昨夜よくねてなくて、それもあり、単に酔いつぶれた。
16 - サボリ - 休みの計画
猪瀬直樹さんの講演がメルパルクであり聞きに出かけたが満席で会場から人があふれていたので、やめにした。
どうした訳か走れる状態にありながらサボリと時間のない毎日だった。連休は苗場山と四阿山・根子岳の2日連続の花の登山を予定しているが朝起きれるのだろうか? 寝坊した場合は小布施見にハーフマラソンの応援にいこう。
17 - 8:45〜苗場山登山(往路120分、山頂湿原お昼と散策60分、復路90分、往復とも花と風景の写真撮影、野鳥出没時のストップ時間を含む) - 起きることが出来、恒例の7月の苗場登山
朝の目覚ましは4:50、一度止めて、5:10に起きた。山の支度をして賞味期限切れのカロリーメイトと、ザックの前に小さなボトルを取り付けられる小道具を持って家を出たのは5:45。大町の信号近くの宇佐見でガソリンを入れていたら、朝で人手不足のところに6台くらいクルマが入りこみ、なんと15分もかかった。
奥志賀高原周りで秋山郷の切明温泉から入り小赤沢の3合目駐車場に。宇佐見GSのところから2時間10分ほどだった。野鳥の会で登ったのが何年だったか忘れたが、その後、イージーの小原氏と1回、一人で2回、そして2004年に1回、いずれも7月の第1週の日曜日に登っている山だ。
最初の時は2000mの山頂湿原の雪がたくさん残っていて木道でなく雪の上を歩いた。その後暖冬の影響か雪が一部ある程度だったが、今年は第3週なのに、まだ1ヵ所木道を覆う雪があった。
チングルマはもう僅かに残る程度で大方は花を落としていた。花はワタスゲ、コバイケイソウ、イワカガミといったところで、一番いい時期を過ぎていた。
まだ姿を見てないコマドリは飯綱でもそうだが、いつも同じ所にいる。デジタルカメラで声の主のいる木をムービー撮りしたが、この停止の動作がもう少し遅ければ、ちょうど飛び立って、こちらに向かってくる姿がとらえられたかもしれない。チャンスを逃した。
こうした撮影でのストップを除き一応ノンストップ登山だ。特に休憩をとらずに一気に登る。木道が最初に現れるところのチングルマの場所で10分ほどロスがあるがそれを含めても3合目からは120分で山頂となった。
下山で3度、滑って手をついた。ぬかるみになりやすい部分に丸太の輪切りが埋め込んであるが、これが滑るのだ。そこで3回ではないが、、。
下山後は、まず大瀬の滝でアイシング。その後、小赤沢温泉、そう鉄分の含まれる赤茶色の湯で温度が低くても温まる、そこに浸かって、食堂で葉わさびがつく「わさびそば」を食べて帰った。途中、木島平ドブ湿原のニッコウキスゲを見て帰ろうかとも考えたが、これはデジカメの電池切れ事情もあり出直しとすることにした。
各写真クリックで拡大となるので山頂の標高はそこで確認できる。
登山靴とランニングシューズ
明日の早起きは、もう18日になり、120分も起きているので厳しいかもしれない。それに今日の山頂で靴を脱いで気がついたが、1996年山を始めた野鳥の会長野支部の槍ヶ岳登山の時に合わせて購入した登山シューズのかかと部分内側が抜けてきた。ゴアテックスのフイルムが入っている部分がすり切れていて、もう限界。槍(96年)、奥穂(97年)、双六(98年)、白馬(99年)、雲ノ平(01年)、笠が岳(02年)、野口五郎(03年)の北アルプス、苗場の全部、戸隠山、高妻山、四阿山とそして飯綱は何度もこの1足で登ってきた。2万円台の靴だったと思うが、これだけ楽しめれば安い。それに比べランニングシューズのなんと高いことか。今年はターサー1足、サロマ2足、そしてトレーニングシューズも買い直したので、その2足を加えると45,000円に達している。シューズのユニクロができないものか。
18 - サボリ 休養 梅雨明け
寝坊した。7時半起きでは山に遅い。四阿山・根子岳は24日に延期とした。7月と8月とで花が違うから「花の百名山」としての根子岳には毎月行かないといけないのだが、、、。今年は7・8・9と3ヵ月行ってそれぞれの花を見てみよう。
うだる暑さ、支度をして1600mのカヤノ平ドブ湿原にニッコウキスゲを見に行ってしまえば涼しかったろうが、冷房をつけた家の中にいた。ジョグにも出なかった。こんな暑い中、東京湾を走られた人々がいる。関東甲信越までの梅雨明けが宣言された日だった。

左枠の訂正は右足首による。前日の下山での着地が原因によるものと思われる。1日帯状のサポーター使用。
19 18 9:30〜砂田橋→浅川堤防→西友檀田店→東条橋→昌禅寺前→湯谷団地→地附山災害跡→雲上殿→小丸山公園→往生寺参道横断→水道局裏→往生地公園までの9.07km(これの完全折り返し) 57.8 水道のあるコース
諸事情で仕事を休んだ。右足首が昨日の帯状サポーターでの簡易固定で快復していたので、午前中に走りに出た。地附山〜雲上殿〜往生地の高台コース。磐梯100kmで左膝が何ともなかったこともあり、急な下り部分も全て走った。はじめから帽子を濡らしてかぶっている。UVカットロングスリーブにスポーツデポで購入の5980円のロングタイツ。値段からしてCWX程でないのは当然だが、結構使える品だとわかった。タイツとタケの短いソックスの関係で両足首が縛られたように赤く日焼けしてしまう。いつもそこと帽子の陰からはみ出る顔のケアを怠っている。
このコースは、部分的にクラブの塩沢さんのホームコースで、私の雪のある時期を除く通勤帰路大回り17kmコースの一部分でもある。高低差が150mあるが、水道は24時間営業の西友檀田店、雲上殿駐車場トイレ、小丸山公園、往生地公園とあり、夏場に走るにはいいコースだ。
◆左の体重はrun後、体脂肪率13.3% 体脂肪量7.7kg
累計145km
20 15 朝の通勤jog 5km
18:35〜通勤帰路メルパルク前→県町通り→湯福神社→(塩沢宅)→桜坂→地附山災害後→昌禅寺→東条橋→西友檀田店→浅川堤防→砂田橋の10km
58.8 心肺機能
クラブの立替金が3万円近くなったので、塩沢さんに連絡をとりお金をおろしておいてもらい、通勤帰路のジョグで塩沢宅に寄った。富士登山競争で明日は富士吉田市に前泊とのこと。塩沢さんの強さは心肺機能だろう。普段のトレーニングコースが高低差150mの雲上殿周りになっているから、それにより作られた心配機能は山で強い。今年も昨年タイムはクリアだろう。「レースの終わっている下山で今年は怪我をしないようにね」とだけ言ってきた。
塩沢さんと同じコースを練習に取り入れているが、こちらは手抜きの練習でサボリの日が多いから、その域にはいかない。しかし、元々「心肺機能」は強い方で、あの飯綱登山競争でも結構良いタイムだった。富士登山競争は年齢制限の最後の年までに1回だけチャレンジするつもりでいる。それまではいい。一度、定番の御来光を見に登りたい。
北海道マラソンに向け減量?
夏は走ると水分が抜けて体重が落ちる。北海道マラソンに向け57.0kgの体重でいきたいと思っている。行けそうだが、ビール次第かもしれない。
杉山さんに連絡をとり視聴覚障害者の伴走の練習を土曜日17時に古戦場公園でお願いした。
◆左の体重はrun後、体脂肪率14.8% 体脂肪量8.7kg
累計160km
21 1 往路JR通勤、その増車駅・北長野駅まで1kmのrun
通勤帰路MTB

上のみなのでサボリ
飲食会の設定をしたのみ
石川さんに頼まれていた天然アミノ酸補給会の予約をメルパに入れた。いつものクラブ値段でOKということで、480円お得になる。これ大きい。もう少し人数が増えるかと思ったが、日曜の夜は予定があるのかな? メルパはランチ週2回、週1回は夜は飲みに入るし、利用頻度が高く、たぶんあの店で1番だろう。石川夫妻もよく利用していて、今年はないが、2人でお昼を食べに来たときに呼び出されて一緒に食べたこともある。最上階のスカイバンケットでは別に3,500円でビール生飲み放題付バイキングをやっている。1階の方より生飲み放分が300円高い1,500円。これは場所代か? 見晴らしがいいので一度は行ってみる予定。
走る予定だったけれど、ちょっと飲み過ぎた。エビスは残っているが、サントリーのモルツプレミアアムが終わるので、これが市内で一番安く(4,800円)販売されているベイシアに頼まなければ、とビールの心配をしている。
朝、JRに乗り遅れそうになり、run.
累計161km
22 - サボリ - 自然生物のリズムに
信じてもらえないだろうが、そしてもう少ししてからの方がいいのかもしれないが、朝型生活に改造中だ。要は24時前に寝ること。これを月曜日から実施して3日坊主を通り越して5日目になった。お日様と共にの自然生物のリズム、この方が確実に体は楽なはずで、あまり好きな言葉でないが「健康的」だ。小学校の頃から夜は24時近くまで起きていて、学年が進むにつて深夜に起きている生活になり、インターネット環境下で、HPに手をつけたここ数年は特に2時、3時を過ぎて眠ることが当たり前だった。
朝型で何かいいことがあるか? 5時起きが定着すれば、▽周辺の山登りは朝の天気を見てから支度をして、6時に家を出ることで北アルプスも含めいつでもできる ▽通勤時間帯のランが起きて3時間半を経過している時間となるので楽に走れる---など。
磐梯報告が完
遅れていた磐梯報告は、掲示板連載部分から取ってきて、掲示板に書かなかったことを別見出しで付け加え完成、日付順の8日〜10日の3日間の枠のところに入れた。あとはコース順の写真アルバムをあげるだけ。
昼休みに2つの山企画と保険の関係もあり、視聴覚障害ランナーの伴走をするための練習会の日程を掲示板にあげ、夜にいずれもNMC今後の予定ページに書き込んだ。
23 17 朝5kmの通勤jog

16:15〜長野駅東口→古戦場公園のrun +古戦場公園内jog 12km

- 伴走の練習
野辺山24時間リレーマラソンで視覚障害者ランナーの伴走をするため杉山会長から伴走の講習を受けた。まず私の方がアイマスクをして伴走してもらったが、真っ暗ではじめ歩けなかった。相手に全幅の信頼を置かないと走れない。ゆっくりとジョグで公園内を走った。輪状にした50cnくらいの長さの紐を手につかんで声のガイドと指示を受けて。これを交代しながら練習。カーブ、曲がりのガイド、路面のガイド、上り下りの予告など、絶えずしゃべっていないといけない。私が伴走の側になると、つい伴走していることを忘れがちになってしまう。また曲がる指示が遅れて2度ほど公園の生け垣に入りそうになってしまったこともあった。伴走していることを絶えず意識して走っていないとだめということがわかった。
その野辺山24時間は700人を超す参加者だそうだが、このうち視覚障害だけでなく、障害のある方が20人くらいいらっしゃることを知り驚いた。これのサポートする人も選手兼任でその数よりいる。これは素晴らしいことで、是非、良い大会として成功してもらいたい。
累計178km
24 - 8:30菅平牧場→四阿山→根子岳→菅平牧場13:00の山歩き - W百名山山歩き練習会と案内した菅平登山
山頂休憩と野鳥(ビンズイ)の観察を除くと正味4時間の一人山歩き。花の収穫は根子岳
山頂は混雑していた。写真クリックで拡大
手前の大岩群の周りを通る登山道、その大岩の脇に咲いていたリネンソウだ。詳細後日記載。
8:30菅平牧場の四阿山登山口看板前スタート→9:12小四阿→9:45中四阿→10:14四阿山と根子岳登山道分岐点→10:21四阿山への木道→10:27四阿山山頂(10分休憩)
 花(初出順)…▽小四阿山の前〔ウツボグサ、イブキジャコウソオウ、ミネウスユキソウ、クルマユリ、カラマツソウ、ハクサンフウロ、ヤマブキショウマ、マツムシソウ(夏の終わりの花で全行程で1ヵ所のみ)、オトギリソウ、ヤナギラン、ノハラアザミの順で花を確認〕 ▽中四阿までに〔ハクサンオミナエシ、ヒメジシャン、テガタチドリ、ヤマホタルフクロ〕 ▽山頂まで〔ニガナ、ゴゼンタチバナ〕
10:37四阿山山頂から下山→10:42木道通過→10:23分岐→11:05鞍部→11:25大岩で10分休憩→11:48根子岳山頂
 花(同)…▽根子岳山頂付近〔ソバナ、リネンソウ、シロニガナ、エゾシオガマ〕 ▽鞍部や根子岳中腹〔マルバダケフキ〕
11:52根子岳下山開始→牧場脇の1本木立の天辺でさえずるビンズイを5分ほど観察→12:57牧場の登山口
 花(同)…根子岳中腹〔カラフトイバラ、ベニバナイチヤクソウ〕
25 - 時間とれず - 第2週に突入
朝型生活は第2週に突入。
会議の飯田会場の担当になり夕方からクルマで飯田へ。
26 - 予定あり - 梓川SAで仮眠
台風の影響か飯田からの帰路、所々雨降りだった。前夜22時半頃会議が終わり、高速道路に乗ったのは23時頃、ナビでは長野駅付近着を1時の予測が出ていたが、途中、睡魔が来たので梓川SAで仮眠、長野の家に戻ったのは3時だった。シャワーを浴びて来たところで、髪が乾くまでこのページを更新中。久しぶりこの時間帯に起きていることになった。今、4時、寝る。今日は雨が降らなければ走る予定。
27 12 通勤往路JR

通勤帰路18:30〜東口ビル前→市役所裏交差点→守田公園→JR車両センター和田神社前→運動公園サブトラック→弥栄神社前→「館」→北長野駅裏→たつみ池裏→浅川「ひばり橋」→小町橋→砂田橋のjog & run
58.2 野辺山の準備
野辺山の準備が掲示板で盛んだ。去年使わなかったものは落としていこう。キャンプサイトの場所取りで朝6時出かな?西さんのところ回ってしまうか。
体は軽めで来ている。右足首は山の後もサポーターを使用していない。多少外側に傾きがちで、これは帯状サポータがいいかな。
野辺山は伴走初体験もあるので、距離を走りたい。野辺山ではNMCチームでの走りのほかに、個人24時間の部に出られる女性ランナーのサポートを主催者ウェルネスとNMC3人でする。この女性、今年のお台場で121kmを走られた方。「しまなみ」、「れんが」「鯖街道」「村岡W」なども走っておられ、メッセージにそんなことと、「いろんなところを走ってみたいです」と書いてあった。
◆左の体重はrun後、体脂肪率16.8% 体脂肪量9.7kg
累計190km
28 - JRで通勤往路
帰路クルマ
- 8月7日のこと
8月7日の長野駅からの「長野市合併記念・新最高峰・高妻山(日本百名山)マラニック」の関係で、若里からスパイラル、旧戸隠健康マラソンコース周りで戸隠の奥社まで行っていた石川さんに所要時間を聞いた。35kmでほとんど走っていてサブフォー、4時間に近いとのことだった。水は2L。
マラニックは長野駅発とすること、旧戸隠健康マラソンコースの大回りはしないこと等で距離を短縮、おおよそ30kmで戸隠キャンプ場=牧場までとして3時間半を予定。9時半には牧場からの登山口より登山に入る予定。標準登山時間は、尾根となる一不動避難小屋までが2時間(→そこを1時間10分)、五地蔵岳まで45分(→同20分)、八丁ダルミまで40分(→同20分)、高妻山まで1時間(→同40分)、トータル標準時間4時間25分のところを2時間30分で山頂を予定する。したがって朝6時長野駅出発、12時山頂だ。山頂で10分ほど休憩し、下山に1時間半くらいを予定すれば14時には確実に牧場のお店のあるところにおりてこられる。
長野駅から登山口まで距離が長いので少し大変だが、いけるだろう。本当なら朝6時長野駅でなく朝5時長野駅の方がベターだ。今のところ参加者は企画者の私一人だが、参加者の走力により1時間くらいの幅がでる。山部分は牧場を出発してしまうと、水場は一不動避難小屋の少し手前の「一杯清水」しかないので、注意が必要だ。もちろん、何かを販売しているなどの小屋はない。
そんなタイムスケジュールは考えたが、今日の走りはサボリ。だた12日のところに書いて14日にアートスポーツで購入したレキのポールを少し使って歩いてみた。
29 - クルマで通勤
早退する
- 準備で忙しい
明日からの24時間野辺山の準備で買い物等があったので、午後早退した。走る時間はとれたと思うが、サボってしまった。これで野辺山で40km走ったとしても今月の300kmはなした。
30 10 12:00〜24時間リレーマラソン&キャンプin野辺山 - 一括して記載予定

30日正午から24時間リレーマラソン&キャンプin野辺山

上の写真は、バックのイエローのゴールゲートに続々とゴールする中、NMCチームゴール後、個人の部女子で優勝の大家さんを中央にNMCチームメンバー及びサポートの陽子さん、NMCから個人の部に出た石川を加えて(サポートの里香さん撮影) 写真クリックで拡大 
なお、長野マラソンに続き長野県にお目見えのアンパンマンは家族参加の子供達に大人気で、また優勝した大学生チームからも記念写真を頼まれていた。
 

参考:7月4日の主催者へのメール
例年ですと、当クラブは最小単位の人数で2チーム編成でエントリー、少ない人数で多人数チームの距離に迫ることが醍醐味なのですが、今年は、視聴覚障害者マラソン協会から大会に出る方の伴走を依頼され、当チームから3人がチップを外して伴走にも出ることになり、またビギナーのオーストリア人、アメリカ人が加わった等の事情もあり、10人1チームと個人の部1人とあいなりました。

野辺山の印象
野辺山から帰ってきた。今回は2日間で20km台しか走っていないようだ。正確な距離ではないが、両日で25km程ではないか。ほかのメンバーは皆良い走りをした。
前日の正午から始まり2日目の正午までの24時間で、最後の1時間はみんな周回を稼ごうと1周毎に襷(だすき)を渡し合うのでリレーシーンが混み合う。各チームのメンバーがアンカーを迎えようと大勢集まってくのはラストの30分あたりから。今回はラストの10分でリレーゾーンが閉鎖されることになっていた。このため11時50分より1秒でも前にアンカーにリレー出来るかが勝負の分かれ目となり、NMCもマリリン(ホームスティ中の15歳高校生)、武捨リーダー、ジェイソンとつないだラスト30分の興奮は24時間大会ならではのものだった。それこそ感動もの。
ビギナーながら順番を抜けることなく周回を重ねて24時間トータルで自己ベストの距離42kmは走ったジェイソンさんがアンカーにふさわしいとなり、そこに時間通りもって行くために今回チーム・リーダーの武捨さんがまた素晴らし走りをした。マリリンもラストスパートで時間通り11:42ぴったりにリレーソーンに来てくれた。武捨リーダーがマリリンの襷を受け8分内の走りに出た。「小布施見に」を大腿部の怪我でパス、チームリーダーの責任上この24時間に備えてきた武捨さんは、まだ病み上がり。この日のベストが8分とかで、まさにリレーゾーン閉鎖までぴったりの持ちタイム。それでも1周なので7分台はいけると踏んでの襷受けだった。その通り素晴らしい走りで1周9分の持ちタイムのジェイソンさんに12:00までにゴールが出来るように襷渡しを果たした。ジェイソンさんも持ちタイムから余裕なのに最後ばかりは激走して約3分余裕の、かつ周回をカウントされるゴールを踏んだ。
この大会では伴走も体験、しかし、走者の体調が悪く、ランでの伴走の距離は少なかった。その方は0.02の弱視の方で歩いていいるときは周回コースでは伴走なしでも良いようで、歩きにした時は一人で歩いておられた。一緒に走らせてもらい、また走りから歩きに変更した時の歩きの時に少しお話したが、フル3時間48分が確自己ベスト、当然、3:30を目標とするだろう。しかし、そのレベルの伴走者が身近にいなかったということだ。それもありウルトラにシフトしたようだ。まだ私の出てない「しまなみ」、「れんが」、「村尾W」を完走されておられ、胃腸の状態が思わしくなく完走できなかった「日南おろち」が残念だったようだ。クラブの徳ちゃんはパラリンピックのフルマラソンの選手、地元佐久の保科さんらのグループに指名されて個人24時間走の保科さんの伴走を伴走初体験で務めていた。
沖縄からは両足義足のランナーが個人24時間走の部に出ていたり、障害者と健常者がごく普通に一緒に走っている大会としても、この野辺山24時間は印象に残る大会だ。
累計距離215km
31 15 前日よりの続き〜12:00
上で、runはキロ4分〜5分30秒内、jogはキロ5分30秒〜7分00秒の範囲。

2005年…1月 2月 3月 4月 5 6月 次月
2004年…1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月と10月 11月 12月
2003年…1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2002年…1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2001年…1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月        本人について 
                                                              
ダイアリー関係のそれ以前は下
    1987年から2000年7月までのトレーニングとフルマラソンの大会結果一覧
    2000年 8月と9月 10月 11月  12月

著者関連 カヤノ平FFG関連(2000/7/22)
       日本野鳥の会長野支部報に掲載の笠岳登山記のネット版(2002/8/6-7)